私は、PMという仕事を尊敬する。
PMという仕事を知ったのは、今からおよそ二十年前、某IT企業のセキュリティ工事の案件を通じてだった。大阪から東京に出てきたころの出来事だ。最初は正直、よく思えなかった。現場のことを十分に知らないのに指揮をする人たちに、嫌な気持ちを抱いた。仕事が余計に増える。ダメなところを指摘されて気分が悪くなる。そんな人たちだと思っていた。
お金の面でも、同じような誤解をしていた。費用が嵩むだけで、お客さんの代わりに面倒なことを引き受けている。大したことをしていないのに、いい仕事だなあ、と。
しばらくして、その見方が間違いだったと気づいた。
きっかけの一端は、以前より異業種の人たちとの話し合いが増えたことだ。現場に一体感を感じることが、多くなった。おそらく、定例会議や分科会を重ねることで、互いの仕事の境界線が見えて、助け合いも増えた。結果、気持ちのよい仕事になっていく。
PMは、日々変わる現場の状況やトラブルに対応しながら、それでもスケジュールを前に進める。問題になりそうなことを前もって読み、手を打ってリスクを避けることで、現場を円滑に保つ。誰もが常に見事な采配というわけではない。それでも、よい采配のもとで案件に携わると、仕事の心地が違う。
この人たちは、何かがあったときの素早い対応や臨機応変だけがすごいわけではない。それもすごい。だが、いちばん見事なのは、何も起こさせないことだ。だから、凄さがわからない。それでも、それがすごい。
でも、仕事を何から何まで知っているからすごい、というわけではない。その人たちが捉えているのは、その職人やその仕事が何のために存在しているのか、を的確に把握していることだった。
細かい作業内容は知らなくてよい。職人に聞けばいい。そうではなく、その設備やその仕事が何のためにあるのか、運用開始後にどのように使われるのかまでを的確に捉えているから、応用がきく。PM自身が、すぐに理解し、把握できる。
予算が膨らむと思っていたのも、誤りだった。個々の業者の番頭さんたちと顧客担当者だけで進めると、工程が伸びがちで、予算も膨らみがちだ。PMが間に入り、全体を一本の線で押さえることで、予定のなかで終わらせられる。結果として、従来より予算を縮小できることもある。
私は、PMに憧れ、真似るようになった。
真似の中身は、こうだ。その作業の目的は何か。誰が、どのような影響を受けるのか。それを先に見る。
それからは、点の作業ではなく、全体の線で見る。手を減らし、とくに安全と納期を守り、品質も落とさず一本に引く。それが芸術に見える。
私は、改めて言う。PMという仕事を、尊敬する。